自宅のすぐ前に大きな馬車が停まっており、領主の従者達が控えていた。
それを取り囲むように、やや遠巻きにしながら、村の人々が立っている。
片田舎の小さな村である為、村全体がひとつの家族のようなものなのだ。
笑顔の人もいる。泣いている人もいる。複雑そうな表情をする人もいた。
母親に抱かれた少女は私を見るなり、微笑ましいくらいに目を輝かせる。
少女に向かって小さく手を振ると、飛び上がって喜んでくれた。
ひとりの従者が恭しく私を迎えに来る。馬車の扉は開いてた。
「シルファ!」
私を呼ぶ声。耳馴染みの良いそれは、私の親しい友人のものだ。
ずっと姉妹のように育ってきた。彼女も、今年で十六歳となる。
裁縫が苦手な彼女を毎日のように手伝った、あの頃が懐かしい。
彼女は領主の従者を気にもせず、私の元へ走り寄ってくる。
着ているのは、豊穣祭のために縫っていた、手作りの衣装。
彼女が何かを言おうとするより、私の方が早かった。
「マリー。十六歳おめでとう」
亜麻色の髪に飾られた赤い花は、私と彼女の大好きな花だ。
だからお揃いにしようと約束していたのに、守れなかった。
薄らと紅の塗られた唇が、もどかしげに動く。
「……本当に行ってしまうの?」
黙って頷いた私へ、彼女は祈りを捧げる仕草をしながら言う。
彼女の目は少し赤く、そのことが私にはなんだか嬉しかった。
「あなたまで、そんな顔するのね。似合わないわ」
いつだって朗らかに笑う彼女が私は好きだ。
可愛くて優しい、私にとってかけがえのない親友。
「でも、シルファ、本当に良かったの? だって、あなたには」
「そのことは言わないでちょうだい。私が、選んだことなのよ」
そう言うと、彼女は痛ましいものでも見るように目を伏せてしまった。
村娘が領主に求められて、拒めるはずなどない。
そんなことは分かっている。姉も彼女も、私も。
「姉さんには泣かれたわ。だからあなたには、笑顔で見送って欲しいの」
ただ、抱えきれないほどの祝福が欲しかった。
私の気持ちを悟ったかのように、彼女が抱き着いてくる。
ふわりと薫る香水もまた、おそろいで買ったものだった。
「シルファ。私、貴女がいつまでも幸せであることを祈るわ」
従者の目を盗むようにしてそっと手渡された、小さな何か。
大好きな香りがふわりと漂う。それは手製のポプリだった。
「お揃いにするって約束していたでしょう?」
「ありがとう、マリー」
私はそれを言うだけで精一杯だった。
笑顔で行くと、心に決めていたのに。
「そろそろ城へ参りましょう」
私達の間に従者が割って入ってくる。
馬車へ促されて、私は大人しく従う。
扉を閉めると、一気に静寂が訪れた。
馬車が動き出すと、私は窓に縋った。
きっともう二度と戻れない故郷の村。
なにもかもが視界から過ぎて、消えていった。