穏やかな朝だった。私は一人で目覚め、着替えを済ませた。
私に与えられた部屋は、広くて、豪華で、日当たりがいい。
窓を開けると爽やかな風が舞い込み、髪や肌を撫でていく。
領主城は周囲を森と湖に囲まれており、他にはなにもない。
あの森のずっと向こうには、私の育った村があるはずだ。
姉は、元気にしているだろうか。
姉の面倒は信頼のおける人に頼んである。
マリーも必ず毎日、姉を訪ねると約束してくれた。
私のために頑張り過ぎてくれた人だから。
早く体を治して、きちんと幸せになって欲しかった。
物思いに耽っていた私を呼び戻したのは、扉を叩く音だった。
「おはよう。慣れないベッドだけど、ちゃんと眠れたかな?」
眩しく見えるほどにこやかな表情のレナードがそこにいた。
「……どうかしら。緊張して寝心地なんてわからなかったわ」
一体どんな顔で、声で、彼と話せばいいのだろうと考える。
彼は夫となる人の傍仕えで、そして、私の幼い初恋の相手。
「それにしても、主人の奥方の部屋に、朝からなんの御用?」
女性の部屋に入ることを許されるのは、夫と子供くらいだ。
どちらでもない彼のこの行動は、酷く不作法なものだった。
「きみと話をしに来た。昨日は、あまり時間が無かったから」
昨夜。私は長い食事の時間を終えると、すぐ部屋に戻った。
長旅で疲れているだろうから、という領主の気遣いだった。
私の返事を待つ気はないらしい彼が部屋に入り込んでくる。
領主に聞かれては困る話、とでも言うつもりなのだろうか。
私と彼はテーブルを挟み、向かい合ってソファに腰掛ける。
困惑を隠しきれない私に対して、彼はただ穏やかに微笑む。
「さて、何から話せばいいかな。沢山あって迷ってしまうね」
「じゃあ私の質問に答えて。十年前、何故いなくなったの?」
彼は――わずかに眉を寄せ、目線を落とし、声を低くした。
「いきなり姿を消したことは、本当に申し訳なかったと思う」
「謝られても、わからないわ。ねぇ、最初から全部、話して」
ああ、と彼は吐息のような声を漏らす。それが返事だった。
実は、僕とロゼフ様は親戚関係にある。僕の父は、貴族だ。
けれど妾腹の子供だったから、本妻には酷く嫌われていた。
父は僕の母を愛していて、僕に後を継がせる気だったんだ。
でも本妻は、どうしても自分の子供を跡継ぎにしたかった。
急な病で父が亡くなると、僕はすぐに屋敷を追い出された。
そして預けられたのが、きみの村の教会だったということ。
「……あなたが、貴族ですって?」
そう。信じてもらえないかもしれないけど、これは事実だ。
そして十年前、本妻の気紛れによって屋敷に連れ戻された。
本妻は僕に、貴族としての教養を徹底的に叩き込んだんだ。
自分の思い通りになる手駒は、多い方が有利になるからね。
僕がこの城に来たのは、今から二年前の、春のことだった。
ちょうどロゼフ様が僕のような人間を探しているからって。
おかげで僕は本妻から離れられ、不自由ない暮らしがある。
「……ざっと話せばこんな感じかな。まぁ、つまらない話だ」
彼は言葉を止め、私を見た。そうして返事を要求していた。
「話してくれてありがとう。あなたも、苦労をしてきたのね」
「多少はね。だけれど、今では本妻に心から感謝しているよ」
彼はそう言って笑った。
「彼女がいなければこの城にきみを呼ぶこともできなかった」
私はその意味を理解できなかった。
「きみは昔、この城に、天使が住んでいると言っていたよね」