君がそう言ったから
僕とあの人には、切っても切れない縁がある。
非常に忌々しいことだが、どうしようもないことだった。
僕は子供であったけれど、あの人がどういう人間かを知っていた。
自分の欲を満たすためなら、自分以外の犠牲など微塵にも厭わない。
僕という存在さえ、あの人の欲から生まれたものなのだ。
昔から僕は、あの人とは出来る限り関わらないようにしていた。
あの人もそうだ。必要以上に僕に干渉してくることはなかった。
関係が崩れたのは、やはり、彼女のことが切っ掛けだろう。
彼女と出会ってから、僕はより一層、あの人を嫌うようになった。
あの人にとって彼女は、商売に使う駒のひとつでしかなかった。
子供であることも、女であることも、あの人達には都合が良いのだ。
しかし彼女は僕以外の人間を前にすると、酷く怯えた。
それは時に、あの人達の機嫌を損ねてしまうこともある。
ぐったりとベッドに横たわる彼女を、僕は何度も見た。
彼女が酷い目に遭っていることなど、今更、確かめる必要もない。
「ここから逃げよう」
そう言った幼い僕を、彼女は力無く首を振ることで拒絶した。
「だめだよ。逃げたらいけないんだよ」
「そんなことない。大丈夫、僕が上手くやるよ」
「だめ。だめ。見つかったら、痛いことされるの」
彼女の腕の中で、ウサギのぬいぐるみが震えていた。
弱弱しく頭を振りながら、彼女は譫言のように繰り返す。
「痛いの、本当に痛いの。謝ってもだめなの。だから、いや、やだ、やめて――」
喉を引き攣らせるような悲鳴。
彼女は目の前の何かに怯えていた。
僕を見ながら、僕以外の誰かを見ている。
きっと、彼女も、逃げようとしたことがあるのかもしれない。
そして、逃げきれずに捕まって、ここへ連れ戻されてしまった。
その際に、あの人達がどんな手段で彼女を痛め付けたかなんて。
考えたくもない。考えるまでもない。
二度目は無い、という、いつかに聞いた声が頭の中で反響する。
反吐が出そうだ。
「ごめん!」
僕の口からは、そんな陳腐な言葉しか出てこない。
逃げようだなんて、簡単に言うものではなかった。
だって、実際、どうやって逃がすというんだろう。
僕はあまりにも無知で幼稚で非力で、ただの子供でしかない。
「小夜ちゃん」
僕が手を伸ばすと、彼女は怯えたように体を縮める。
逃げようとしないのは、逃げられないことを知っているから。
逃げて、捕まったら、更に酷いことをされると分かっているから。
無暗に触れたら、壊れてしまうかもしれない。
「……大丈夫だよ」
なにが、とは、彼女は問わない。
大きな瞳が、怖々と僕を見上げている。
滲んだ血で紅く染まった唇は、ゆっくりと動く。
「ひとりはいや。一緒にいて。ひとりは怖いの、いやなの」
ゆうくん、と、僕の名を呼んだ。
「逃げられなくてもいい。ゆうくんがいてくれたら、それでいいの」
細い指が僕の服を掴む。離れないで、とでも言うように。
縋ってくる小さな体を、恐る恐る、僕は抱き締めた。
なんて罪深いのだろうと、思わずにはいられなかった。