世界は閉ざされている
またいつもと同じ夢を見た。
とても嫌な夢、悪夢と云うべき夢だった。
その悪夢の舞台は彼女が閉じ込められている部屋。
大人達に囲まれて彼女は泣いて、泣いて、叫んでいた。
僕はただそれを見ている。見ていることしかしなかった。
肩を掴む手に気付いて振り向くと、あの人が笑っていた。
あの人の言葉は僕の耳には届かなかった。
ただ彼女の泣き声だけが脳を揺さぶって。
肩を掴む手に力が込められて、唇は切れて血を流した。
いや、やめて、たすけて。ゆうくん、たすけて。
彼女の泣き声は頭の中で大きくなるのに、彼女は遠退く。
手を伸ばしても届かない、闇の奥へと呑み込まれていく。
ゆうくん、たすけて。
彼女の悲鳴だけがいつまでも僕の頭の中に渦巻いていた。
そして僕は目を覚ました。
「…………」
カーテンから朝日が薄く漏れて、眩しい。
それが現実のものだと認識するのには若干の時間を要する。
あの悪夢はいつだって僕の過去と現実を滅茶苦茶に掻き回した。
涙を流しながら助けを求める彼女の姿を、僕は今も忘れられない。
けれど、あれは全て過去のものであり、現実の彼女はここにいる。
傍らへ目をやれば、あどけない寝顔をした彼女がいる。
彼女は必ず僕に身を寄せて、抱き付くように眠るのだ。
「おはよう、小夜ちゃん」
柔らかな黒髪に触れる。彼女は僅かに身じろいだ。
人形のように白い肌、伏せられた長い睫毛、薄い寝息を漏らす唇。
僕の服を掴んで離さない指、手荒にすれば折れてしまいそうな細い腕。
「ゆうくん?」
小さな声。彼女は少し睫毛を持ち上げ、僕を見上げた。
睫毛の隙間から覗く黒い瞳はまだまだ眠気を捨て切れていない。
「朝?」
「朝だよ。起きようね」
彼女は僕の服を掴み直すと、もぞもぞ動いて、僕との僅かな距離を埋める。
「小夜ちゃん?」
「あともう少しだけ」
「じゃあ、あともう少しだけね」
彼女の細い体を抱き寄せると、その体はいつも一瞬だけ強張った。
言葉通り、少しすると満足したのか彼女は体を起して僕に向き直る。
「おはようゆうくん」
「おはよう、小夜ちゃん」
にこ、と笑う、その笑顔は、出会った頃のそれと少しも変わらない。
「なんかね、頭がくらくらする」
「じゃあもう少し寝ていてもいいよ」
「いや」
「どうして?」
「だってゆうくんどこかに行っちゃうでしょ」
そう言って彼女に腕を引かれ、二人してベッドへ倒れる。
彼女は僕の胸に額を押し付けで、胎児のように体を丸めた。
どうやらこれが一番落ち着く体勢らしい。
「せっかく起きたのに、どうしたの?」
「いいの。このままがいい」
「そういうわけにもいかないよ、小夜ちゃん」
頭から背中へ。細い体をそっと優しく撫でる。
言葉はゆっくりと、幼い子供に言い聞かせるように。
「僕はどこにも行かない。わかるよね?」
「うん」
「だから、あと少しだけ、ここで待っていてくれる?」
「はぁい」
口ではそう言いつつ、僕の服を掴む指を優しく解いて。
ぱたりと落ちた指を、彼女は惜しむように口元へ運ぶ。
ベッドに散らばる長い黒髪は、まるで名前通りの小さな夜のようだった。